『浄水通り幼児園』の保育理念

〜文化への親しみと人格の育成〜

[アトリエとしての前身]
 2008年に没したグラフィック・デザイナー/版画家の故国武久巳は、日本のグラフィックデザイン黎明期から第一線で活躍し、観光ポスターやカレンダーなどで数多くの賞を得るなど、膨大な量の作品を、生涯にわたって描き続けました。

 前半はさまざまなデザイン活動のほかに童画やメルヘンによる独自の世界を創出、後年はさらに版画家としても活躍の幅を広げます。版画ではより芸術性の高い心象表現への深まりを見せ、詩的で幻想的な美しさを極めた作品が数多く生まれました。愛くるしいメルヘンの世界と格調高い版画の世界を両立させることによって広く愛好される人気作家の地位を築き、現在も全国の多くの愛好家に親しまれています。

 それらの作品を生みだした国武久巳のアトリエは、没後も尚、中央区平尾浄水町にひっそりと佇んでいました。

[文化的保育園へ]
 数年後、このアトリエを次の時代と文化を担う子供たちのために、文化育成を主眼とした「保育園」として再出発させることが決まります。それぞれの子供が生まれ持っている個性と能力を引き出し、開花させるための一助となればという思念からです。

 しかし、当園の幼児教育の理念と、一般的に捉えられている保育園という言葉の概念には、いささかの齟齬があり、その名称には敢えて「幼児園」という言葉を選び取りました。

[幼年期という貴重な時期]
人間形成の最も根本ともなる幼年期の子ども達を幼児園としてのアトリエへ招き入れ、そこでまず楽しく遊びながら、ごく普通に本物の美術や音楽などに触れること、人が心豊かに生きていく上で最も大切な精神上の財産ともなるべき文化への扉を開き、心の豊かさや、本当に美しいものを単独で見極める力、表面に惑わされず真に価値あるものに素直に反応し、敏感であること、少々の事には動じない堂々とした人格を育成する環境作りに全力を傾けたいと考えています。

 「人の能力や人格は幼年期の体験で決まる」といわれるように、人生で最も多感な幼年期はそう長くは続きません。この大切な時間を、この新しい保育園で有意義に過ごして欲しいと願っています。

[園の周辺環境]
 当幼児園は浄水通りからひとつ入った場所にあり、市内中央区(天神まで直線距離にすれば2kmにも満たない位置)でありながら、周囲は福岡市の動植物園をはじめ、南公園、浄水緑地など広大な緑のエリアが集中し、市の中心部とは思えないような鬱蒼とした木々の広がる好立地です。アトリエの大きな窓からの景色も爽快で明るく、さらに日中もきわめて閑静という絶好の環境は、子供の情操面の発育にも正に理想的な環境を有しています。

 西鉄バスの「動物園前」のバス停や動物園正門は、幼児園入口からわずか250mという距離です。このあたりは福岡市内では散歩・散策にも最高と評価されるロケーションのひとつですから、これらを大いに役立てることはいうまでもありません。その一つとして動植物園にはしばしば訪れることになりますし、当園の敷地内にも安全に配慮した遊庭があり、元気で多感な子供たちを日がな一日建物の中に閉じこめてストレス漬けにするということは決してありません。

[本物に触れることの意義]
 動物園などへ折あるごとに出かけることで、生きた本物の動物の姿や迫力、さまざまな情景に自分で触れてみることが大切で、これは、どんなにかわいらしいぬいぐるみがいくらあっても決して得られない経験です。

 通常の保育内容を基本に据えつつ、プラスアルファとして可能な限り美術や音楽にもじかに触れる機会を頻繁に設けます。子供というものは大人が考えているより、はるかに多感で鋭敏な感性や理解力を潜在的にもっているものです。一流の芸術に対しても、臆せず先入観なしに反応し、各々がなにかを吸収する力を隠し持っており、その扉をそっと開けてやることが周りの大人の責任だと私達は考えているのです。

 子供だからといって、なんでも子供用/子供レベルのものばかり与えるのは却って子供の可能性を封じこめ、下手をすれば花にもなるであろう芽を知らぬ間に摘み取ることにもなるでしょう。幼年期に「本物」と日常的に親しむこと、楽しく遊びながらも文化と近い距離で自然に過ごして呼吸することは、ただ机の前にすわる勉強とは違います。これこそが真の意味での文化育成だと考えます。

 浄水通り幼児園では、文化面に主眼を於いた情操の教育に最大の力を注ぎますが、同時にいろいろな遊びやお友だち・先生方との交流を通じて、子供なりのさまざまな社会経験を重ね、豊かな人間性の基礎を着実に学び取り、積み上げて欲しいと願っています。

 もちろん、ただ触れるだけでなく、楽しさを感じさせながらの実技指導も重要視しており、英語には外国人の先生を、絵画や音楽では専門の先生、あるいは現役のプロの方にも可能な限りお出でいただいて直接ご指導をいただきます。

 文化的感性が発達すると、頭脳はバランスの良い刺激を受け、感性・知性の両面が絶えず補い合いながら有機的合理的に使うことができ、これは将来の人生や勉学に際しても極めて大きな強味となるでしょう。

[親御さんへのゆとり]
 現代人にとっては、たとえ幼い子供がいても自分の時間を持つということは極めて重要で、個人の尊厳や社会参加が昔とは比較にならないほど問われる時代ですから、まだ若い親御さん達は、親であると同時に現役の社会人のひとりとして、さまざまなことに挑戦したいという気持ちもおありでしょうし、そのためにも安定した自分の時間の確保を必要とするのは当然のことだと思います。

 安定した自分の時間を持つことができるということこそ、心に安心と余裕が芽生え、ご自身の時間を手にすることができたなら、それだけでも自己確立やリフレッシュの機会が大いに増してくることだろうと思われます。

 その前提の上で、子供と共に過ごしたいという時間や機会のあるときは、学校ではないのですから躊躇なく休ませて、一緒に有意義な時間を過ごされたらいいと思います。

 「ゆとり」というものは毎日の暮らしの中から、このようにして自然に蓄積され滲み出るもので、人が生きていく上でとても重要な役割を果たすものだと思います。いかに物質や金銭や地位を手にしても、心のゆとりを失ってしまっては本末転倒です。

 誤解を恐れずに云えば、子供はある意味で「贅沢」に育てるべきだと思います。しかしそれはただ海外旅行に行ったとか、高級レストランに行くというようなことではなく、目先の無駄を恐れず、精神的な豊かさの中で伸びやか呼吸をさせることだと思います。実は無駄こそが大事だということを、現代人はあまりに忘れているように思います。

 祝日を除く月曜〜金曜までの毎日9時間、開園時間内であれば自由に預けることが可能で、だからこそ親御さんもこまかいスケジュールに縛られないという心理面のメリットが生まれるでしょう。そのような親御さん側の心理面も併せて考慮している点も、この幼児園の大きな特色としてご理解いただきたいところです。

[誇り]
 そのような意味では、一人の画家が終生作品を描き続けたアトリエという空間には、他にはない「何か」が必ず息づいているはずだと私達は考えます。その貴重な空間に身を置いて、他園では決して得られない文化的な時間を経験してほしいと願っていますし、そのためには私達も最大限の努力をする所存です。

 もちろん人数には現実的な限りがありますが、一人でも多くの子供にとって幼年期の思い出深い自分自身の文化的なベースとなるような場所になれたならこの上もない喜びですし、それは国武久巳も大いに満足することだろうと思われます。

 この浄水通り幼児園に通ったことを終生誇らしく思い出すことのできる、人生の素晴らしい一時期となるように、微力ではありますが最大限の情熱を注ぎ込むつもりです。

浄水通り幼児園